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4月20日に岡崎城に行きました。
グレート家康公葵武将隊の午前中の演武を観て、午後の演武まで時間があったので、城内にある「三河武士のやかた家康館」を見学することにしました。

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この日は、特別展示は、「鑓 ~戦国の武器~」をしてました。
武器って観ているとわくわくするので、楽しんで展示されているものを観てました。
槍の重さを体験できるのがあったので、持ってみるとかなり重かったです。
武士って、重い甲冑着て、重い槍を使って本当にすごい体力があったんだなあと思いました。
現代人が体力がない人が多いとも言えるけど。

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常設展の徳川家と岡崎のことなどの展示を観たりしました。

楽しかったのが、体験コーナーです。
兜や武器の重さが体験できたりしました。
中でも一番楽しかったのは、甲冑が着れる体験が出来たことです。
写真は載せませんが、勿論、体験してきました。
井伊直政のようなかっこいい赤の甲冑を着せてもらえました。
これしながら、友達のIさんなら、私以上にこういうの大好きだから、パーツ一つ一つつけてもらえる事に写真撮ってそうだなあと思いながら体験してきました。
今度会った時、ここのことを教えてあげなければ。

思っていた以上に楽しめて良かったです。
甲冑が着れるなんて最高だぜ。


帰りに近鉄名古屋駅でアーバンライナーを待っていたら、ホームに特急のしまかぜが入ってきました。
ものすごく綺麗でかっこよかったです。
ホームに居た人の多くの人がすごいと見学してました。
私も荷物させなければ、おおって、寄って行きたかったなあ。
でも、生でしまかぜを観ることが出来てラッキーでした。

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7月14日に宮島に行きました。
厳島の戦いの舞台になった宮尾城跡に行きました。
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陶晴賢との対決した元就が、陶勢を宮島におびき寄せるための囮として使った戦略的要所。
もともとは周防安芸間の水路を警戒するため築城した。
合戦の当初、守備兵500しかいなかったという宮尾城だけに、その規模はとても小さい。
当時は海に面していたとはいえ、よく2万余りの陶勢の攻撃を防いだものと、しみじみ感じさせられる。
((『“戦国BASARA”武将巡礼 Vol.5 毛利元就』79pより)


今回の旅行で、最も大変だったのが、この宮尾城跡でした。
高い場所にあったので、階段を登らないといけないのですが、この階段が大変上り辛いし、降りる時も落ちそうで怖かったです。
段一段が高いし、あまり整備されていないみたいでした。
宮島には観光客の人が沢山居ましたが、ここに行ってみたら、私達と鹿しか居ませんでした。
折角、宮島まで来たから、出来る限り、厳島の戦いの縁の地は行きたかったので、なんとか苦労して行きました。
上まで行くと眺めは大変良かったです。
大変だったけど、展望は良かったから登った甲斐はあったかなあと思います。
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厳島の戦いにおいて、陶晴賢が2万余りの軍勢とともに上陸した地。
また、陶勢が敗れると、ここに係留されていた船に敗走兵がなだれ込んだ。
しかし、毛利・村上水軍によってすぐさま船は燃やされ、晴賢ら陶軍は退路を絶たれることになってしまった。
大元浦から少し行った大元神社の参道には、敗走した陶勢の供養塔がある。
(『(『“戦国BASARA”武将巡礼 Vol.5 毛利元就』78pより)
ここが、陶勢が上陸した場所なんだと思ってみてました。
7月14日に宮島に行きました。
折角、宮島に来たのだから、厳島神社だけではなくて、毛利元就VS陶晴賢の戦いである厳島の戦いの縁の場所にも行こうと思いました。
まずは、陶軍が陣を構えた地である塔の岡に行きました。
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厳島神社から塔の岡を見た風景です。


厳島の戦いにおいて陶晴賢の軍勢が最終的に陣を構えた地で、五重塔があることから塔の岡と呼ばれた。
五重塔の隣にある千畳閣は、1587年に秀吉の命により、戦歿将兵の供養のために安国寺恵瓊によって建設が進められた。
壁板や天板がないのは、秀吉の死によって建設が中止されたからで、現在も未完成のままである。
(『“戦国BASARA”武将巡礼 Vol.5 毛利元就』78pより)

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千畳閣からの眺めです。
眼下に厳島神社が見えます。

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千畳閣です。
壁板などがなく、高い場所にあるので、ここは風の通りがよくて、心地が良かったです。
美しい景色を見ながらのんびりとさせてもらいました。

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五重塔です。


最初は、この記事の題名を誰にするか考えました。
毛利元就か陶晴賢か豊臣秀吉にするか、でも、私の目的が毛利元就の厳島の戦いの縁の地だったので、元就にしました。

私は、大河ドラマの「毛利元就」好きだったので、それをなんとなく思い出しながら、楽しんでました。
陶晴賢役の陣内さんかなり良かったと思ってます。
6月10日に埼玉県行田市の『のぼうの城』の舞台になった忍城に行きました。
まずは、メインの忍城に行く前に、忍城の外堀の沼を利用して整備された公園である水城公園に行きました。
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この公園に行くと忍城の戦いの小説の『のぼうの城』や『水の城』の城の堀の水の豊かさはこんなんだったのかと思って散策してました。
市民の方々がたくさん釣りをしていたのが、ちょっとびっくりしました。
それだけ恵まれた池なんだなあと思いました。
ここ来たのも、小説の舞台を感じられて行って良かったと思います。


おまけ、水城公園から忍城に行く途中に汽車がありました。
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