脱藩大名の戊辰戦争 上総請西藩主・林忠崇の生涯(中村 彰彦)
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中村 彰彦さんの『脱藩大名の戊辰戦争 上総請西藩主・林忠崇の生涯』を読みました。
戊辰の戦火は間近に迫っていた。
徳川三百年の恩顧に報いるに、今をおいて時なし――佐幕一途の志に燃えて上総請西藩主の座を捨てた若き林忠崇は、旧幕臣の集う遊撃隊に参加し、人見勝太郎、伊庭八郎らの同志を得る。
箱根、小田原で東上する官軍と激突。
その後も奥州各地を転戦して抵抗を続けた。
戦乱に死すべき命を長らえた忠崇は、官吏、商家の番頭、神主など職を転々とし、昭和十六年、九十四年の生涯を閉じた。
(カバーより)
私が林忠崇のことを知ったのは、
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この本で読んでその存在を知りました。
幕末に脱藩した志士は多いけど、大名自らが脱藩するなんてということで、すごく興味をそそられた人物です。
林忠崇が、藩主になって、しばらくすると鳥羽・伏見の戦いが起こり、それに幕府側として参加しようと準備をしている間に、徳川慶喜が大阪城から逃げてきてしまい、幕府側が敗北。
江戸城無血開場などもありました。
徳川家を存続させることを目的として、忠崇は薩長側と戦うことを決めます。
しかし、徳川慶喜や領民達に迷惑をかけるわけにはいかないので、藩主自らが脱藩するという日本史上この人物しかしなかった行動を起こします。
途中に出会った、人見勝太郎、伊庭八郎の同志を得て、まずは、徳川家を裏切った、尾張・紀州徳川家・彦根の井伊家に復讐をしようと東海道の方に軍を進めますが、箱根・小田原の戦いで敗北。
その後、奥州の戦いに参加するものの敗北してしまいます。
忠崇は、途中、徳川家が存続されることを知った後は、降伏しました。
徳川家の御為にという正義を胸にと無謀な戦いをしてましたが、その行動には心打たれるものがありました。
降伏後は、小笠原家にお預けになったり、実家の林家にお預けになったりしました。
しかし、家禄を削られまくった林家の家計もくるしくて、忠崇は、自分でなんとかしようといろんな職につきます。
そんな中、元藩士の息子であった広部精達が、林家を華族にという運動をしてくれます。
しかし、華族になる条件の金銭的なものが、なかなか用意出来ずに苦労します。
それでも、広部達のおかげで、林家は、華族として認められます。
この時、元大名家で華族として認めてもらえてなかったのが、林家だけで、明治に入ってすごく苦労していたんだなあと思いました。
名誉も回復して、忠崇は、昭和十六年、九十四年の生涯を閉じます。
幕末を体験した最後の大名となりました。
最後の大名として名前があがる、徳川家第19代当主徳川義親侯爵は、明治19年生まれだから。







