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名君の碑―保科正之の生涯 (文春文庫)名君の碑―保科正之の生涯 (文春文庫)
(2001/10)
中村 彰彦

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中村 彰彦さんの『名君の碑』を読みました。


江戸時代初期、二代将軍秀忠のご落胤として生れた幸松は、信州高遠の保科家を継ぐ。
やがて異母兄である三代将軍家光に引き立てられ、幕閣に於いて重きをなるに至る。
会津へ転封となった後も、名利を求めず、傲ることなく、「足るを知る」こそ君主の道とした清しい生涯を、時に熱く、時に冷静に描く著者渾身の書。
(裏表紙より)


正之の母、お静は、秀忠の手がついたことにより、御台所のお江与の方に憎まれて、何度も嫌がらせをされたり、命を狙われたりします。
最初の子は、お江与の方をおそれた水児にしますが、二度目の妊娠の時は、親族は、前と同じようにしようとしますが、お静の弟が反対して、お静は、幸松を産みます。
その時、助けてくれたのが、武田信玄の娘、見性院と信松院でした。
幸松を守り育ててくれて、見性院は、幸松を高遠の保科家に養子にすることまでしてくれました。
父、秀忠とは二人だけの対面も出来ないくらいでしたが、養父正光に子供の頃から藩主とはどうあるべきか、民をいつくしまないといけないということをいろいろと幸松は学んでいきます。

父の死後、ふいなことから保科正之のことを異母弟と知った家光は、しばらくは正之のことを観察して、信用に足る人物だとわかると徐々に重用するようになりました。
父にも、相手にされてなかった正之は、嬉しくも思い、誠心誠意家光に仕えます。
家光の死後は、家綱の後見人を頼まれたので、これも誠心誠意努めます。
玉川上水を作ったり、振袖大火の時に後始末の指揮をとったり。

領国も民に負担をかけないようにと、今までの悪しき風習は改め、社倉などを設けて、飢饉などに備えさせます。

この本を読んでいると保科正之がどのようにして徳川家の為、民の為に頑張ってきたのかわかります。
そして、人は生きている内にいろいろな人物と出会いそこから、学び、自分を高めていかなければならないのかという思いが強くもなりました。
保科正之自身もすばらしいですが、その周りにいる人達にいろいろと学んだことがわかります。

ただ可哀そうだったのが、身内を早くに亡くしてしまった方々が多かったのはかわいそうでした。
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